ポニョファンの人は読まないでね(ポニョ論)
2010.02.09 Tuesday.01:25
タイトルとは全然違いますが
「ポニョってかわいい」
とか
CMやら番組紹介やらで言われているでしょ。
わたしはいつも思うんですが
「ホントにかわいいの?」
…
どうして誰もほんとのことを言わないんでしょ。
「ポニョってキモカワイイよね」
これならすんなりOKだわさ。
あと最初に言っておく。
「映像は、いつもながら、お見事!としか言い様がない」
なぜ五歳の男の子向けに作ったといいながら、その当人の五歳の男の子はそれを拒否するのか。
茄子スーツケースの渡り鳥のほうが面白いといっているぞ?
ずばり(もちろんいつものよーに仮想の人物、架空の映画だからこその話だが。)
つまり。
「言っている」(宣伝文句として謳っている、でもいい)宣伝文句と、「実際の内容」に食い違いがあるためだ。
それはなぜか。
ここでハヤオウオッチャーのアタシの出番www
例として一番わかりやすいのでポニョを引用します。
「五歳の男の子のため」といいながら
あの映画の中にはあんまり「五歳の男の子の為に必要なもの」が描かれていないのだ。
ハヤオ監督は、育児書とか一回でも読んだことがあるんだろうか…?
あの年頃に必要なのは
「母親」(と、母親を支える父親)、そして、同年代の同姓の複数の友達だ。
断言していい。
ガールフレンドはいたらいたで幸せだが、はっきり言うと前の二者が揃ってから、プラスそれがあったら幸せなんじゃないの?ってぐらいで、まったくもって必要ないと思う。
ひとつだけ、これはわかる、というのは、「宗介がポニョに対する感情がLikeであるに大して、ポニョのそれはLoveだろうなあ」ということぐらい。
話がちょっとそれた。5歳の男の子はヒーローモノ(いわゆる特撮)などに非常に興味があるだろう。
5歳の男の子だったら、そんな話(せいぜい1時間)を望むんじゃないか?
ところがここで、すりかえ?が起きている。
わたし自身は、ゲド戦記等から発生したアレやらコレやらの都合で
息子である宮崎吾郎さんに向けての一種の「懺悔」のようなものを期待していたのだ。
だが、実際はちゃうやんかぁ〜
「ハヤオ監督が5歳にやりたかったこと」に摩り替わっているような気がしてならない。
っていうかそうでしょ。
はっきり言っちゃうと、監督が映画を私物化してます。
監督、脚本、絵コンテの三役やってるから
誰も口出しできないのだろうけれど
それにしても、これはひどすぎる。
どうせファンタジーの世界なら
「本当の息子さんにあげられなかったもの」を
せっかくのファンタジーなら、せめて描いてほしかった。
それができないなら、きちんと懺悔してほしかった。
そしてあの奥さん(リサ)もハヤオ監督に理想化されすぎている。
歴代の奥さん方並べても、みんなそうでしょ?
たしかに神業的なクラッチ裁きには、ほれぼれしました(うっとり…)
でも
前半の葛藤があれだけがんばったのに
後半、リサにとってあれでほんとによかったのかな?
彼女はもっと抵抗してもよかったんじゃないかな?
で
話を戻す。
「ポニョってかわいい」と思えたのは、
洪水のシーンに来てからだった。
リサにもらったスープを、赤ちゃんにあげるところ。
あそこまで来て、はじめてわたしはポニョをかわいいと思った。
そして、最後に彼女がマホウを使うのを禁止されることを選んだことで、
やっと、ほっとした。
まるで、現実の女子大生らの肥大化した自我が、社会に出てやっと自分大に縮小されるように。
(だが今現在はこのシステムは作動していない。だれかが「ソレ」をやらないといけないわけだ。
そしてソレはあまりにもメンドーなので誰もやらない現状)
わたしがリサなら笑顔で言うでしょうねえ。
「ポニョ、マホウ使えなくなってよかったねえ」
そして、ニンゲンらしい現実大の姿を自ら選らんだ彼女にはじめて
「ポニョかわいい」
って言えるんじゃないかな。
(でも自宅で預かりたくないな!!)
あ、あと、フジモトの存在は、やたら味があってある意味リアルで、あの人で中和されて上手くまとまったような感じがする。いいキャラだった。
まだまだ書きたいことあったかもしれないけれど、きれいにまとまったのでここで終わり。
あと、いつもによってアタシの主観だけで書いてあるので、
本気に鵜呑みにしないよーにしてくださいね。
「ポニョってかわいい」
とか
CMやら番組紹介やらで言われているでしょ。
わたしはいつも思うんですが
「ホントにかわいいの?」
…
どうして誰もほんとのことを言わないんでしょ。
「ポニョってキモカワイイよね」
これならすんなりOKだわさ。
あと最初に言っておく。
「映像は、いつもながら、お見事!としか言い様がない」
なぜ五歳の男の子向けに作ったといいながら、その当人の五歳の男の子はそれを拒否するのか。
茄子スーツケースの渡り鳥のほうが面白いといっているぞ?
ずばり(もちろんいつものよーに仮想の人物、架空の映画だからこその話だが。)
つまり。
「言っている」(宣伝文句として謳っている、でもいい)宣伝文句と、「実際の内容」に食い違いがあるためだ。
それはなぜか。
ここでハヤオウオッチャーのアタシの出番www
例として一番わかりやすいのでポニョを引用します。
「五歳の男の子のため」といいながら
あの映画の中にはあんまり「五歳の男の子の為に必要なもの」が描かれていないのだ。
ハヤオ監督は、育児書とか一回でも読んだことがあるんだろうか…?
あの年頃に必要なのは
「母親」(と、母親を支える父親)、そして、同年代の同姓の複数の友達だ。
断言していい。
ガールフレンドはいたらいたで幸せだが、はっきり言うと前の二者が揃ってから、プラスそれがあったら幸せなんじゃないの?ってぐらいで、まったくもって必要ないと思う。
ひとつだけ、これはわかる、というのは、「宗介がポニョに対する感情がLikeであるに大して、ポニョのそれはLoveだろうなあ」ということぐらい。
話がちょっとそれた。5歳の男の子はヒーローモノ(いわゆる特撮)などに非常に興味があるだろう。
5歳の男の子だったら、そんな話(せいぜい1時間)を望むんじゃないか?
ところがここで、すりかえ?が起きている。
わたし自身は、ゲド戦記等から発生したアレやらコレやらの都合で
息子である宮崎吾郎さんに向けての一種の「懺悔」のようなものを期待していたのだ。
だが、実際はちゃうやんかぁ〜
「ハヤオ監督が5歳にやりたかったこと」に摩り替わっているような気がしてならない。
っていうかそうでしょ。
はっきり言っちゃうと、監督が映画を私物化してます。
監督、脚本、絵コンテの三役やってるから
誰も口出しできないのだろうけれど
それにしても、これはひどすぎる。
どうせファンタジーの世界なら
「本当の息子さんにあげられなかったもの」を
せっかくのファンタジーなら、せめて描いてほしかった。
それができないなら、きちんと懺悔してほしかった。
そしてあの奥さん(リサ)もハヤオ監督に理想化されすぎている。
歴代の奥さん方並べても、みんなそうでしょ?
たしかに神業的なクラッチ裁きには、ほれぼれしました(うっとり…)
でも
前半の葛藤があれだけがんばったのに
後半、リサにとってあれでほんとによかったのかな?
彼女はもっと抵抗してもよかったんじゃないかな?
で
話を戻す。
「ポニョってかわいい」と思えたのは、
洪水のシーンに来てからだった。
リサにもらったスープを、赤ちゃんにあげるところ。
あそこまで来て、はじめてわたしはポニョをかわいいと思った。
そして、最後に彼女がマホウを使うのを禁止されることを選んだことで、
やっと、ほっとした。
まるで、現実の女子大生らの肥大化した自我が、社会に出てやっと自分大に縮小されるように。
(だが今現在はこのシステムは作動していない。だれかが「ソレ」をやらないといけないわけだ。
そしてソレはあまりにもメンドーなので誰もやらない現状)
わたしがリサなら笑顔で言うでしょうねえ。
「ポニョ、マホウ使えなくなってよかったねえ」
そして、ニンゲンらしい現実大の姿を自ら選らんだ彼女にはじめて
「ポニョかわいい」
って言えるんじゃないかな。
(でも自宅で預かりたくないな!!)
あ、あと、フジモトの存在は、やたら味があってある意味リアルで、あの人で中和されて上手くまとまったような感じがする。いいキャラだった。
まだまだ書きたいことあったかもしれないけれど、きれいにまとまったのでここで終わり。
あと、いつもによってアタシの主観だけで書いてあるので、
本気に鵜呑みにしないよーにしてくださいね。
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つれづれ.-





